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連載コラム

私の出会った100脚の椅子(1)

「トーネットの14番の椅子」1859
 

 

ある業界誌に毎月書いているコラムの随筆部分(私がこれまで100脚の椅子とどのように対峙してきたか)を今後掲載して行く予定です。
一回目は、なんといっても近代を主導した椅子として、トーネットの14番の椅子を取り上げました。

 
 

近代を主導した椅子

 満月のような明かり(*1)が四階まで吹き抜けた階段ホールの上から数珠繋ぎに突き刺さるように下がり、その下にいた眼鏡をかけた受付嬢に怪訝な目で見つめられた。
 
 これがネルソン事務所に足を踏み入れた最初の一歩。シカゴからニューヨークに来て三日目、1966年初夏の朝のことである。
 おそるおそる用件を述べると、取り次いでくれて出てきた男から「今、ネルソンはフランスに行っていて留守だが、君のことは聞いている」といって、プロジェクトリーダーらしき男に引き合わされた。が、彼らの会話がいまひとつわからいうちに、退所するまで使うことになった席を与えられた。驚くことに、そこにあった椅子がなんとトーネットの14番の椅子。多分14番のオリジナルとは少し異なるアメリカバージョンだったと記憶するが。その後何ヶ月も毎日臀部の痛さに悩まされながら厄介になった思い出深い椅子である。
 
 その日からすぐさま仕事をするなど考えもしなかったが、即座にやるべきことを指示されたのには正直面食らった。その当時、ハーマンミラー社のプロジェクトチームには三人のデザイナーがいて、その中の一番若そうなRがどうやら私の面倒を見るらしい。初日だというのにRの容赦ない指示が飛ぶ。十分聞き取れない英語。アメリカのプロの事務所で仕事をすることの厳しさをいやというほど知らせた初日。事務所を出たのは深夜近く、人影まばらで薄気味悪い地下鉄のプラットホームに立ったとき、前日までの夢のような期待は霧散し、「これでは続かん」と目頭を熱くした時のことをきのうのことのように思い出す。
 その後は事務所のメンバーの寛容さにも助けられ、なんとか仕事を続けることになったのだが、どうしてデザインという作業のための椅子が、それもハーマンミラーの仕事をするのにトーネットの椅子なのか、不思議だった。そのころの日本はアメリカとは比較にならないほど貧しかった。それでもオフィスでは、グレーのビニールレザー張りの回転椅子であったのだから。
 
 当時のネルソン事務所では、ニューヨーク博の仕事が終り、ハーマンミラー社から「アクションオフィス」(*2)という名のシステム家具を発表して間もないころ、仕事はアクティブにやるものという思想があったのか、仕事のための椅子ですら今でいうところの人間工学的発想などどこ吹く風、座り心地よりどのような椅子を使うのか、を問題にしていたのかもしれない。このことについて一度ネルソンに聞いてみたいと思ったが、とうとう聞きそびれてしまった。
 
 20世紀初頭のヨーロッパの新しい建築やデザイン動向をいち早くアメリカに伝えたのがネルソン。コルビュジエなども好んで使ったトーネットの椅子を、近代を具現した椅子として、形而上的意味を何よりも重要視していたのだろう。
 今ではトーネットの小椅子にもいろいろなバリエーションができ、クッション性のある布張りのものもあるが、当時使っていたものの座は廻りにエッジがある木製。薄い座布団のようなものを敷いてはいたが、デスクワーク中心の私にとっては辛いものがあった。
 だが、なによりもあのころは夢があったし、ネルソン事務所の一員としてハーマンミラー社のプロジェクトに参加している、ということが椅子の善し悪しなど問題にせず、これまでの人生の中で最も充実していたときのように思う。

 それにしても、椅子という道具の持つ多様な意味をあらためて知る思いである。

*1:丸いおおきな明かりはネルソンがデザインし、ハワードミラー社(ハーマンミラー社の兄弟)から発売されていた「バブル・ランプ」(1952)。針金のフレームにプラスティックをクモの巣状に噴射してできたシェード。
*2:アクションオフィス(ACTION OFFICE)はオフィスワークを研究するロバート・ブローブスト(Robert Probst)の成果をもとにネルソン事務所がデザインし、1964年にハーマンミラー社から発売された革新的なオフィスのシステム家具。アルミダイキャストの脚部やファイル入れなどに特徴があり、その後のオフィス家具に多大の影響を与えた。

〈初出 2003 07〉

 

 



ミヒャエル・トーネット(Michael Thonet 1796〜1871)は曲木という木の加工法を開発した。曲木は、無垢の木を蒸気で蒸して曲げるという方法で、優美な曲線の椅子を誕生させると同時に、パーツを組み立てコンポーネントとする、という近代のモノづくりとデザインの方法を生んだ。この結果、パーツの一部を変えることで容易に多様なバージョンをつくりだし、椅子を廉価で大衆のものとした。
椅子の歴史を概観すると、トーネット以前と以後で二分される。
ここにあげた14番の椅子はその代表的なもので、1930年頃までに5千万脚を世界中に送り出したという。145年を経た今も色褪せずに生き続ける椅子である。

 
         

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